2018.5.20. ペンテコステ礼拝
詩編40:1〜18、 ローマの信徒への手紙8:26〜30

「聖霊によるとりなし」

わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(26節)

きょう5月20日は、聖霊降臨日・ペンテコステです。イースターから50日目の日が聖霊降臨日・ペンテコステです。使徒言行録2章以下にありますように、この聖霊降臨日に、弟子たちの上に聖霊が降り、このときから教会が誕生し、世界各地に神の福音が宣べ伝えられて行きました。このためこの日は「教会の誕生日」とも呼ばれます。

 聖霊降臨日・ペンテコステの日に降った聖霊は、わたしたちの心の内に今も働いてくださっております。ローマの信徒への手紙のきょうの箇所で、使徒パウロはその聖霊がどのように働いてくださっているのかということを述べています。それでは、聖霊の働きとはどのようなものなのでしょうか。それは、たとえば聖霊が働くと力が湧いてきてこれまでできなかったことができるようになるというようなことなのでしょうか。そうではありません。ここで言われておりますのは、26節にありますように祈りに関することです。わたしたちは祈ることにおいてどう祈ったらいいのか、わからないことが多くあります。それは、商売繁盛や家内安全などというようなことよりも、なぜ自分がこんな目にあわなければならないのかと神に向かって叫びたいほどの苦しみ、悩みに直面するような状況において、神とどう向き合うかということにかかわってくる問題です。それは信仰の問題でもあります。わたしたちはこういった状況に置かれるとき弱さを露呈してしまいます。「神も仏もあるものか」と言って神に対する不信感を抱いてしまい、祈るどころではなくなってしまうということが起こってまいります。わたしたちは目に見えることばかりに心を奪われ、目には見えないけれども何よりも確かな神の救いのご計画を信じることができないという弱さを持っているのです。しかし、26節にありますように聖霊はそのような弱いわたしたちを助けてくださいます。ここで「助けてくださる」と訳されている言葉は、もともと三つの単語が合わさっている言葉です。 「共に」という言葉と「代わりに」 という言葉と「持つ」「背負う」という言葉です。聖霊は、弱いわたしたちと「共に」、わたしたちの不安をわたしたちに「代わって」「身代わりになって」、「持って」くださる、「背負ってくださる」、これが聖霊の「助け」なのです。 これは、同じ26節にあります「執り成し」という言葉とほぼ同じ意味になります。 そして聖霊が「言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」のです。悩み苦しむわたしたちのために神への祈りを執り成してくださるのです。わたしたちは辛く苦しいとき、整った言葉で祈ることに困難を覚えることがあります。それはただ「うめき」にしかならないことも多くあることでしょう。聖霊は、わたしたちの内に来てくださり、そのようなわたしたちのうめきを通して、わたしたちのうめきにしかならないような神への祈りを執り成してくださるのです。わたしたちは苦しみや悲しみのなかにおかれ、「神も仏もない」と言って、神への信頼に生きることができないような絶望に陥りそうになるときにも、聖霊は、わたしたちとともに苦しみ悲しんでくださり、わたしたちのうめきを共有してくださり、わたしたちのうめきにしかならないような思い、嘆きをも祈りとして神へ執り成してくださるのです。わたしたちが聖霊の執り成しのなかで祈ることによって、神は、そのようなわたしたちのうめきにしかならないような祈りを聴き上げてくださり、28節にありますように、神が救いのご計画に従ってわたしたちを召してくださり、万事が、悲しみも喜びも、良いことも悪いこともすべてが益となるように、共に働くようにしてくださっていることを信じて歩めるようになるのです。そのことが神を信じて生きるわたしたちに与えられる神の恵みなのです。聖霊の執り成しをいつも祈り求めてまいりましょう。

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