2018.6.10.
イザヤ書35:1〜10、 テサロニケの信徒への手紙一 3:1〜10

「信仰によって受ける励まし」

  「それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。」(7節)

 テサロニケの教会は、使徒パウロが伝道によって立ち上げた教会でした。しかし、彼は、敵対者の迫害に遭って1年も経たないうちにそこを去って他の都市に移らねばならなかったのです。彼はその後何度か再訪を果たしたいと思って、再訪を試みたのですが様々な妨げによって行くことが出来ないでおりました。そこで代わりにテモテを遣わしました。テモテは、テサロニケに行ってパウロのところに帰り、テサロニケの教会のことを報告します。パウロは、テサロニケの教会の人たちがパウロにしきりに会いたがっていること、彼らがパウロの伝道した信仰に堅く立って主イエス・キリストと共に歩んでいるということを聞いて大きな喜びに満たされます。それはどのような信仰だったのでしょうか。そのことは、1章10節に記されております。「 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」人間の罪を赦し、永遠の命を与えてくださるために十字架で死なれ、復活し、天におられる主イエス・キリストが、再びこの世に来られる日が必ずやって来る。その日には神の救いが完成する。その日には、新しい天と新しい地が始まり、もはや悲しみも悩みもない。そういう終末の日が再びやって来る。その日を信じて、その日を待ち望んで、困難の中にあっても、きょうを希望を持って生きるという信仰、そういう信仰をテサロニケの教会の人たちは受け入れたのです。きょう共に聴いております旧約聖書イザヤ書35章では、神の救いが完成するときのことが喜びを持って歌われています。国が滅ぼされ、バビロンに捕らえ移されたイスラエルの民が必ずや故郷シオンに戻ることができる。その日が必ずやって来る。そういう救いの希望を歌っているのがこの箇所なのです。そのことは、主の再臨を待ち望んで生きるテサロニケの教会の人々の思いと重なってまいります。テサロニケの教会の人たちは、パウロの伝道の働きによってそのような主の再臨を信じて生きる信仰を与えられました。パウロは、テモテからテサロニケ教会の人たちがその信仰に堅く立って歩んでいることを知らされ大いに喜んだのです。パウロは、立てたばかりの教会がその後どうなっているかとても気がかりだったことでしょう。それだけにテモテのもたらした知らせは、パウロを大いに喜ばせたということは想像に難くありません。しかし、パウロは喜んだだけではなかったのです。彼は7節、8節にありますようにそのテサロニケの教会の人たちの「信仰によって励まされ」、「今、生きていると言える」とまで述べているのです。詳しいことは記されておりませんが、パウロたちはそのとき何らかの迫害を受け困難な状況の中にあったものと思われます。離れて暮らしているテサロニケの教会の人たちが、キリストの再臨を信じる信仰に堅く立って生きているということは、困難な状況の中にあるパウロたちにとって何ものにも代えがたい大きな励ましとなっただけでなく、パウロたちを生かすことにもなったのです。キリストを信じて生きるわたしたちもまた、「主にしっかりと結ばれ」(8節)、主を信じる信仰に堅く立って、困難の中にあってもお互いに励まし合い、お互いに生かされて歩む者たちとされたいと思います。

       閉じる