2021.8.1 主日礼拝
出エジプト記 第16章2〜4節

エフェソの信徒への手紙 第4章17〜24節

ヨハネによる福音書 第6章22〜33節

「永遠の命に至る食べ物」

 主イエスは、27節で、本日の箇所の中心となる教えを群衆にお語りになりました。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである」。あなたがたが求めているのは「朽ちる食べ物」だ。しかし私があなたがたに与えようとしているのは、朽ちない食べ物、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物なのだ、それをこそ求めなさい、と主イエスは言われたのです。

 この主イエスのお言葉を聞いた人々は、28節で、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と尋ねました。この問いは、27節の「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」という勧めとうまくつながらないように思われるかもしれません。しかし人々は、主イエスの言葉を、「永遠の命を得るために働きなさい」と聞いたのです。そして彼らにとって、永遠の命を神からいただくために人間がしなければならないことは、神の業を行うこと、具体的には律法を守ることでした。それが彼らに刷り込まれていた常識だったのです。だから彼らは、永遠の命に至る食べ物のために働くためには、どういう神の業を行ったらよいのでしょうか、律法をどのように守り行ったらよいのでしょうか、と尋ねたのです。そしてこれは、私たちの誰もが思っていることであり、いつも問うていることです。わたしたちも、救われるためには、どうすればよいのか、とにかく自分の願い求めている救いを得るためには、何かをしなければならない、と思っています。何か良いことを、立派なこと、正しいことをすることによって救いが得られる、という思いが私たちの中にも刷り込まれていて、常識となっているのです。だから私たちも、「救われるためには何をしたらよいでしょうか」と問うのです。「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」という人々の問いは私たちがいつも問うていることだと言えるでしょう。

 それに対する主イエスの答えは、彼らの、そして私たちの常識を覆すものでした。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」。何か良いこと、立派なこと、正しいことをすることが神の業を行うことなのではない。神がお遣わしになった者を信じることこそが、永遠の命に至る朽ちない食べ物を得るために必要な神の業を行うことなのです。神がお遣わしになった者、それはもちろん主イエスです。3章16、17節にこうありました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」。神は独り子主イエスを世に遣わしてくださったほどに世を、私たちを、愛してくださっているのです。その神の愛を信じて受け入れ、その愛をいただきつつ生きることこそが、神の業を行うことです。わたしたちは、何か良いこと、立派なこと、正しいことをすることによってではなくて、主イエスによる神の愛を信じることによって、永遠の命に至る朽ちない食べ物をいただくことができるのです。

 神による救いは、パンによって満腹し、安心して生活できるようになることにあるのではなくて、主イエスの父なる神が与えてくださる天からのまことのパンをいただくことにこそあるのです。主イエスの父なる神が与えてくださる天からのまことのパン、つまり神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものです。それは3章16節、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と語られているように、独り子主イエス・キリストご自身です。主イエスこそ、父が与えてくださる天からのまことのパンなのです。主イエスこそ、いつまでもなくなることのない、永遠の命に至る食べ物です。主イエスが五千人の人々を満腹にした奇跡は、主イエスが天からのパン、神のパンを与えて私たちを養い、満腹させ、生活を安定させてくださる方だということのしるしではなくて、主イエスご自身こそ、神がこの世に遣わして、私たちに与えてくださった、永遠の命に至る食べ物であることのしるしだったのです。わたしたちは、この主イエスを信じることによってこそ、主イエスを食べること、いただくことができます。主イエスこそ、父なる神から遣わされた独り子なる神であり、神に背き逆らっているわたしたちの罪を全て背負って十字架にかかって死んでくださり、復活して永遠の命を生きておられる方です。その主イエスを信じ、主イエスに従っていく者となることによってこそ、私たちは主イエスによる罪の赦しにあずかり、また主イエスが先に得ておられる復活と永遠の命にわたしたちもあずかる者とされる希望を与えられるのです。  主イエスを信じることによって与えられるこの神による救い以外のものは、たとえそれがこの世の人生においてわたしたちを満腹にし、生活を安定させ、安心して生きることができるようにしてくれるものであっても、すべて「朽ちる食べ物」です。つまり食べても食べてもまた空腹になる、そしていつかはなくなってしまう、つまり死を越えてわたしたちを生かすものではない、本当の希望を与えるものではない、そういう食べ物です。そのような「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と主イエスはわたしたちに語りかけておられます。その働きとは、良いことをする立派な信心深い人になるとか、律法を守って罪を犯さない正しい人になることではなくて、罪人であるわたしたちのために十字架にかかって死んでくださった神の子イエス・キリストを信じることです。そこにこそ、永遠の命に至る道があるのです。

                                 閉じる