2021.8.8 主日礼拝
列王記上 第19章1〜8節

エフェソの信徒への手紙 第4章25節〜5章5節

ヨハネによる福音書 第6章41〜51節

「キリストの命に生かされる」

 主イエス・キリストはそのご生涯において数々の奇跡をなさいましたが、五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹にする奇跡を行った主イエスが、「わたしは天から降って来たパンである」とおっしゃいました。パンの奇跡を見て主イエスのもとに集まって来た人々に主イエスは、「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」とおっしゃったのです。人々が「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と求めると主イエスは、「わたしが命のパンである」とおっしゃいました。ご自分こそ、天から降って来て世に命を与えるまことのパンである、と宣言なさったのです。これを聞いたユダヤ人たちがつぶやき始めた、というところから本日の箇所が始まります。

 彼らのつぶやきは、「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか」ということでした。イエスは我々と同じ普通の人間なのに、どうして「わたしは天から降って来た」などと言えるのか、ということです。天から降って来るのは神です。彼らは、主イエスが天から降って来た神であるということにつまずいたのです。42節に、ヨセフの息子のイエスで、その父も母も知っているとあるように、彼らはイエスの家族を知っています。それで彼らは、「あのイエスが天から降って来た神であるはずはないだろう」とぶつぶつ言い始めたのです。ユダヤ人たちのそのつぶやきに対する主イエスの答えが43節以下です。

 語られたのは「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない」ということです。つまり、主イエスを独り子なる神と信じる信仰は、イエスが神であることの証拠を示されて納得して信じるようになるというものではなくて、父なる神によって導かれて与えられるのです。

 それでは、父なる神はどのようにしてわたしたちを主イエスのもとに引き寄せ、信仰を与えてくださるのでしょうか。45節には「彼らは皆、神によって教えられる」という預言者の書からの引用がなされています。これはおそらく、イザヤ書54章13節の「あなたの子らは皆、主について教えを受け」を指しているのだろうと思われます。そしてこの引用に続いて「父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る」と語られています。この45節が言おうとしているのは、主イエスを信じることは父なる神によって教えられ、そのみ言葉を聞いて学ぶことによってこそできる、ということです。父なる神によって教えられ、そのみ言葉を聴いて学ぶ、それは聖書のみ言葉に聴くということです。神は聖書においてご自身のみ言葉を語ってくださっています。聖書において父なる神は私たちに語りかけ、教えてくださっているのであって、そのみ言葉によって私たちを主イエスのもとに引き寄せてくださるのです。ですから、父が引き寄せてくださる人というのは、聖書のみ言葉をしっかり聴く人です。聖書から神の教えを受けることによってこそわたしたちは、主イエスが独り子なる神であることを信じることができるのです。

 独り子主イエスを信じる信仰はこのようにして神によって与えられます。そして47節には、「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」と語られています。主イエス・キリストは、天から降って来て世に命を与えるパンです。父なる神が天から与えてくださるまことのパンです。このパンを食べる者は、永遠の命を得るのです。

 主イエスが天から降って来たパンであると信じるとは、天からのパンである主イエスを食べることです。そして主イエスというパンを食べるならば、わたしたちは死なないのです。永遠に生きるのです。なぜならば、主イエス・キリストは、天から降って来て、人間としてこの世を生きてくださり、私たちの罪を全て背負って十字架の上で死んでくださったことによって罪の赦しを与えてくださり、そして復活して今や永遠の命を生きておられる、独り子なる神だからです。独り子なる神、主イエスの十字架の死と復活があったからこそ、主イエスは命のパンであり、このパンを食べるならば、その人は永遠に生きると言うことができるのです。それゆえに、主イエス・キリストが天から降って来た独り子なる神であるという信仰は、私たちの救いにおいて欠くことのできないものです。

 聖書は、主イエスが天から降って来た独り子なる神であり、その主イエスが十字架にかかって死んでくださり、復活してくださったことを告げています。この独り子なる神、主イエスを信じるところに、罪人であるわたしたちをただ恵みによって救ってくださる神の愛が示されます。神はこの愛によってわたしたちを、弱さや罪の中にいるありのままで赦し、救ってくださるのです。そしてわたしたちに主イエスという命のパンを食べさせ、主イエスと一つにし、度ごとに新しく生かしてくださるのです。しかし、ありのままで救われたわたしたちはありのままであり続けることはありません。命のパンである主イエスによって豊かに養われて、死なない者となる、つまり死によって自分が滅びてしまうのでなく、それを越えて神が与えてくださる命を信じる者となり、その新しい命を今この人生の中で生き始めるのです。

天の父なる神様

 どうかわたしたちが困難の中にあっても命のパンである主イエスを信じ、いただくことによって、永遠の命を生き始めることができるようにしてください。この祈りを救い主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

                                 閉じる