2023.12.24 降誕日主日 クリスマス礼拝
イザヤ書 第9章1~6節
テトスへの手紙 2章11~14節
ルカによる福音書 2章1~14節
                          

「喜びのおとずれ」

 本日は「ルカによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。

 今から約2000年前にユダヤ、今のイスラエルの地にイエス・キリストはお生まれになりました。当時のユダヤ、イスラエルはローマ帝国の植民地になっておりました。ローマ帝国は世界を支配した大帝国であり、当時の皇帝はアウグストゥスと言いました。この人はローマ皇帝の中でも最も優秀な皇帝であったと言われております。その皇帝アウグストゥスが人口調査をせよという命令を各植民地に出したということなのです。この人口調査というのは住民登録ということですが、その目的は、税金を取り立てるためということです。誰から税金を取ることができるか、ということを把握するわけです。そのために人々が自分の町、生まれ故郷に帰っていく。その人口調査は自分の生まれ故郷で登録をすることになっていたようです。今日ここに登場してまいります、イエス・キリストの父であるヨセフもまた自分の故郷に帰らねばなりませんでした。ヨセフの故郷はベツレヘムというところです。彼は妻マリアと一緒にガリラヤのナザレという町に住んでおりました。ガリラヤからベツレヘムまで120キロもの距離があります。彼らはやっとの思いでこの120キロの道をベツレヘムまで帰っていったのです。しかし、7節にありますように「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のです。おそらく、住民登録をするためにイスラエル、ユダヤの各地からこのベツレヘムに帰ってきた人たちが大勢集まって来ていために、まともな宿屋がなかなか取れなかったのでしょう。そのときに「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」とあります。飼い葉桶というのは、馬や牛に干し草などを与えるための、器、かごのようなものです。そこにイエス様が寝かされたということから、おそらく馬小屋でお生まれなったと一般的に考えられています。クリスマスの出来事と言えば世間では、きらびやかなイメージを持たれています。クリスマスソングやサンタクロース、クリスマスセールの様々な歌やその他の明るいイメージがありますが、わたしたちが、今日このように聖書から聞くときに、イエス様がお生まれなったときには、決して明るくはない、暗い状況の中でお生まれなったということを、わたしたちはこの聖書から知らされるのです。  それではどうしてこの偉大な救い主が、きらびやかな神殿やお金持ちの大きな屋敷の部屋でお生まれになったのではなく、この貧しく、決して綺麗ではない、馬小屋でお生まれになったのでしょうか。それは、イエス・キリストがわたしたちの深い罪によって引き起こされる様々な悲惨さの全てを担ってくださるということ、そのようにして引き受けてくださるために、この世に生まれてくださったということ、そのことを暗示しているのです。イエス・キリストというお方がわたしたちの手の届かないところにおられて、上から目線でわたしたちに救いを与える、そういうお方ではない。わたしたちとともに苦しみ悲しむお方として、この世に生まれくださったということ、わたしたち庶民の気持ち、罪深い弱い人間の気持ちをしっかりと受け止めてくださるお方として生まれてくださった。宮殿のようなきらびやかなところではなく、馬小屋のような薄汚れた汚いところ。そういうところに生まれてくださったということが大切なことなのです。そのことがこの罪深い弱いわたしたちにとって、とても大きな出来事であったのです。わたしたちの救い主はこのようなところにこそ生まれるべきお方であったのです。

 それでは、そのようなお方がお生まれになったということ、そのことがわたしたちの今のこの明るいとは言えない世の中で生きるわたしたちにとってどのような意味があるのでしょうか。きょうのところの後のところですが、15節に「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。』と話し合った。」とあります。主が知らせてくださったその出来事とは何でしょうか。それは救い主が馬小屋で生まれになったということです。そのお方が11節にありますが、「あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と天使が告げたのです。救い主、主メシア、そのお方がわたしたちのためにお生まれになった。小さな赤ん坊ですけれども、そのお方こそわたしたちの救い主である。それが、主が知らせてくださった出来事であったのです。このイエス・キリストがこの世に来られて、そして大人になって神様の教えを宣べ伝えられ、病気の人たちや悪霊に取り憑かれている人たちを救い、そして全人類のすべての罪を背負って十字架にかかってくださる。三日目によみがえられ、天に登られるお方、その方が今日お生まれなったということ、羊飼いたちはそのことをベツレヘムの馬小屋に行って、見て信じたのです。その生まれた子こそが、救い主だと信じたのです。そのときから彼らは新しくされたのです。新しく生きる道、救い主を信じて救いの道を歩むことができる者たちとされたのです。これこそまさに彼らにとっての、全人類にとっての「喜びのおとずれ」であったのです。

 このクリスマスの出来事をわたしたちが聖書のみ言葉に聴くことによって、神様はわたしたちをも新しくしてくださいます。罪深い、弱い者たちであるわたしたちの救いのためにお生まれなり、そして今もわたしたちと共にいてくださって、わたしたちを救ってくださる。そのことを信じて生きる信仰がわたしたちに与えられ、わたしたちは新たにされるのです。そのことはまさに神様からの恵みです。「喜びのおとずれ」なのです。この世は闇だ、というようなことが時々言われますが、しかし、闇のように見えるようなこの世の中で、悲惨な出来事が多いこの世の中で、闇の中でイエス・キリストという光が輝いているのです。それは救いの希望の光です。その光を見つめて、わたしたちはきょうから始まる日々を、新しく生かされた者として希望を持って歩んでいきたいのです。

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