2024.1.21 降誕後第4主日
ヨナ書 第3章1~5節、10節
コリントの信徒への手紙一 第7章29~31節
マルコによる福音書 第1章14~20節
                          

「神の国は近づいた」

本日は、「マルコによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。

 まず最初に、「時は満ちた」と語られていることについてですが、時が満ちるとはどういうことでしょうか。そもそも、時とは「満ちる」ものなのでしょうか。ここで「時」と訳されている言葉は、私たちが普通に「時間」という意味で用いている言葉とは違う言葉です。過去から現在へ、そして未来へと流れていく時間を意味する言葉は、聖書の言語であるギリシャ語においては「クロノス」といいます。それに対してここで用いられている「時」は「カイロス」という言葉です。それは、自然に流れていく時間とは違う、特別な意味を持った「時」、それによって歴史が変わるような、そして私たちに新しい生き方を迫ってくるような「時」を意味しています。その「カイロス」は、ある時にまさに満ちるのです。「時は満ちた」というのは、そういう特別な意味を持つ時が来た、ということなのです。

 「神の国は近づいた」と次に語られています。「神の国」とは、神様の王としてのご支配、という意味です。領域とか国土という意味ではありません。だから「近づいた」と言えるわけです。「近づいた」とは、以前より多少近くなった、というようなことではありません。つまり、どのくらい近くなったのかという程度問題ではなくて、決定的に近づいた、まさにそれが実現しようとしている、ということです。ですからこれは「神の国が来た」と言い換えてもよい言葉なのです。神様の、王としてのご支配が、今や決定的に近づき、実現しようとしている、神の時、カイロスが満ちたことによって、そういう新しい事態が生じているのです。神の時が満ちるならば、つまり神様がその救いのみ業において新しいことをなさる時には、神様のご支配が実現しいきます。人間がそれを妨げたり、敵対して押しつぶすことはできません。何があろうと、神様のご支配は、神様ご自身の力によって確立していくのです。「神の国は近づいた」というみ言葉はそのことの宣言なのです。

 神の国が目の前に、すぐ近くに来ているということは、それに対して私たちが応答しなければならない、反応しなければならない、ということです。神様の、王としてのご支配は今やあなたのすぐ近くに来ており、あなたに及ぼうとしている、それを前にしてあなたはどうするのか、神様のご支配を信じて受け入れ、それに服するのか、それともそのご支配を拒み、つまり自分が王であり続けようとし、自分の王国に閉じこもろうとするのか、あなたはそのどちらかをはっきりと決断しなければならない、「神の国は近づいた」という宣言によって主イエスは私たちに、そういう決断を求めておられるのです。神がわたしたちに望んでおられる決断とは、わたしたちが神様のご支配を信じて受け入れ、それに服することを選び、その道を歩みなさい、ということです。しかし、私たちはもともと生まれつき、自分が王様である自分の王国に生きているのです。自分が支配することを追い求めているのです。私たちは基本的に、神の国、神様の王としてのご支配を受け入れようとしない者だということです。神様を王として受け入れるのでなく、自分が王であり続けようとし、自分の王国に閉じこもろうとしているのです。ですから、「神の国は近づいた」という宣言を受けて私たちがしなければならないことは「悔い改め」です。もともと神様のご支配に敵対し、自分が王であろうとし、あり続けようとしている罪を悔い改めることが私たちに求められているのです。

 「時は満ち、神の国は近づいた」という主イエスの宣言によって、私たちはその罪を悔い改めることを求められるのです。それは個々の悪い思いや行いを反省して直すということであるよりも、自分が王であることをやめ、神様こそが王であられることを受け入れることです。そういう意味で、私たちの心の向きが大きく、正反対に変わること、それが「悔い改める」ことなのです。神の国が近づいている、そのことに応答して私たちがなすべきことはこの「悔い改める」ことであり、「悔い改める」ことなしに神の国、神様の王としてのご支配を受け入れることはできないのです。

 この「時は満ち、神の国は近づいた」という宣言によって、自分が王であり続け、自分の王国に閉じこもろうとしている私たちの罪が明らかにされ、そこからの方向転換が迫られているのです。けれどももう一つ、この宣言において主イエスが私たちに語りかけておられることがあります。それは「福音を信じなさい」ということです。福音という言葉は14節にもありました。主イエスは神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られたのです。

 「時は満ち、神の国は近づいた」。その神の国は、独り子イエス・キリストがこの世に来て下さり、人間として歩んで下さったそのご生涯の全体によって、とりわけ十字架の死と復活によって実現しています。その神の国を前にして、私たちは決断しなければならないのです。主イエスは「悔い改めて福音を信じなさい」と私たちに呼びかけておられます。私たちは、自分が王であることをやめて、神様の方に向きを変えなければなりません。しかしそれは同時に、「福音を信じる」ことです。神様が、独り子イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちの全ての罪を赦し、新しくし、神の子として恵みの下に生かしてくださる、苦しみ悲しみ嘆きの中にいる私たちに、慰めを与えてくださる、そのことが、私たちの努力や力によってではなくて、独り子をすら与えてくださる神様の愛によって成し遂げられているのです。神様からのこの思いがけない驚くべき知らせを受けて、それを喜んで生きていくことによって、私たちは自分が王となろうとする罪に支配された自分の王国から解放されて、神様の方に向きを変え、神様の恵みのご支配の下で祝福に満たされた人生を歩んでいくことができるのです。そのことを確信し、希望を持ってこれからの日々を歩んでいくことができるように祈り求めてまりましょう。

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