2024.3.10 受難節第4主日
歴代誌下 第36章14~16節、19~23節
エフェソの信徒への手紙  第2章4~10節
ヨハネによる福音書 第3章16~21節
                          

「御子を信じる者」

本日は、「ヨハネによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。ヨハネによる福音書3章16節のこの言葉は、これまで多くの人々に愛唱されてきました。この一節に、聖書全体のメッセージが要約されていると言うことができます。宗教改革者マルティン・ルターは、この節を「小福音書」と呼んだと言われます。ここには、教会が宣べ伝えているイエス・キリストの福音の根本的内容が語られているのです。教会が宣べ伝えている福音、つまり良い知らせ、救いの知らせの根本とは、神が世を愛してくださっている、ということです。「世」という言葉はヨハネによる福音書に特徴的な言葉です。それはこの世界とそこに生きている私たち人間全体を意味しています。「世」は、神よって造られたのに、神を認めず、信じようとせず、従おうとしない、神に背き逆らっているのです。神に背き逆らっている世は暗闇です。世は人間の罪によって闇となってしまっているのです。その世に、まことの光である主イエスが来てくださいました。しかし世はその光を光として認めようとしません。ヨハネによる福音書では、世が、つまりこの世界と全ての人間が、神に逆らう罪の中にあり、暗闇に覆われてしまっていることが見つめられているのです。

 その「世」を神が愛してくださった、それが本日の聖書箇所で語られている福音のメッセージの中心です。しかもその愛はうわべだけのものではありませんでした。「その独り子をお与えになったほどに」神は世を愛してくださったのです。神はその独り子を与えてくださることによって、罪に陥っているわたしたちを赦し、罪の支配から解放してくださいました。しかしそれだけでなく、わたしたちを支配している死の力を打ち破って、復活と永遠の命の約束をも与えてくださったのです。神はそれほどまでにわたしたちを愛してくださっている、愛されるに値しない罪人であるこのわたしに、このようなとてつもなく大きな愛を注いでくださっている、それがキリストによる救いの福音の根本なのです。

 16節の後半には「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。神が独り子を与えるほどに愛してくださったことによってわたしたちは永遠の命を得る、その救いが語られているわけですが、その救いはわたしたちが「滅びない」ために与えられていることがここに示されています。永遠の命を得るのでなければ、わたしたちは滅びてしまいます。しかし、独り子を与えてくださるほどの神の愛によって、滅びへの道ではなくて永遠の命を得る道を歩むことができるのです。この救いを信じ、それにあずかるためには、その救いがなければ滅びてしまうことをしっかりと見つめなければならないのです。

 それはなぜなのでしょうか。どうして、神によって救われることだけを見つめるのでなく、神によって裁かれ、滅びることをも見つめなければならないのでしょうか。それは、わたしたちは美しく優れた立派な者だから神に愛され、救われるのではなくて、神に背き逆らっている罪人であるわたしたちを神が愛してくださったことによって救われるのだからです。つまりわたしたちは、本来は、神によって裁かれ、滅びるしかない者なのです。しかし、わたしたちがこれから何か悪いことをしたら、神に裁かれ滅ぼされてしまう、というのではありません。わたしたちはすでに、神に逆らい、造り主であられる神を神として信じ従うことなく、自分の思いによって、自分を神として生きているのです。その結果、神をも隣人をも愛することができなくなっており、お互いに傷つけ合い、苦しめ合いながら生きています。それが生まれつきのわたしたちなのであって、そのようなわたしたちは本当は神に裁かれ、滅ぼされるしかない者たちなのです。そのわたしたちを神が愛してくださって、独り子を与えてくださいました。独り子イエス・キリストのご生涯と、とりわけ十字架の死と復活によって、神はわたしたちの罪を赦し、永遠の命の約束を与えてくださったのです。その救いは、わたしたちが一生懸命善い行いをしたとか、立派な人になるために努力することによって得られたのではなくて、ただ神がわたしたちを愛してくださったことによって与えられています。わたしたちがこの救いにあずかるためになすべきことは、この神の、独り子をお与えくださったほどの愛を信じて受け入れ、神の独り子イエス・キリストを救い主と信じることだけです。御子を信じる、そのことによって、そのことのみによって、神がわたしたちを愛して与えてくださった救いにあずかることができるのです。元々わたしたちは、罪による滅びへの道を歩んでいたのです。その道しか知らなかったのです。しかしそのわたしたちに神が驚くべき愛によって独り子を与えてくださり、その神の愛によってわたしたちの前に、御子を信じて救いに至る新しい道が開かれたのです。

 17節に語られているように、神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためです。わたしたちを愛し、わたしたちが一人も滅びることなく救われて永遠の命を得ることを願って、神は御子を遣わしてくださったのです。つまり神は、わたしたち全ての者を、御子による救いへと招いてくださっているのです。この招きにお応えして御子を信じる者となるなら、それだけでわたしたちは、永遠の命に至る救いにあずかることができます。立派な善い行いをするとか、愛に満ちた人間になるというようなわたしたちの側の資格や条件は、この救いには全く必要がありません。神は、わたしたちへの心からの愛によって、独り子イエス・キリストを与えてくださり、その十字架の死と復活による救いをすでに実現してくださっています。この神の愛を受け入れて、御子を信じる者となって生きることによって、滅びに至る道を歩んでいたわたしたちが、永遠の命に至る道を歩む者へと新しくされるのです。わたしたちがその道をひたすらに歩んでいくことができるように祈り求めてまいりましょう。

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