2025.6.8 ペンテコステ礼拝 説教要約
創世記 11章1~9節
使徒言行録 2章1~13節
ヨハネによる福音書 14章15~16節、23~26節
                          

「聖霊が降る」

 本日は、「使徒言行録」を中心に御言葉に聴いてまいりましょう。

 本日は、「ペンテコステ礼拝」として礼拝をお献げいたしております。ペンテコステといいますのは、弟子たちに聖霊が降りまして、そこからキリストの体である教会が誕生した、ということをわたしたちが深く心に留めて、御言葉にしっかりと聴いて、キリストの体である教会に、わたしたちが連なっているというのはどういうことかということを、しっかりと心に留めていく、そういう礼拝です。

 1節に「五旬祭の日が来て」とありますが、その日が来て、弟子たち「一同が一つになった集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」とあります。さらに「激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえる」ということですから、これは尋常でない出来事だったということなのです。そして、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」ということですから、本当に尋常ならざる出来事が起こった。さらに、驚くべきことに、「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」とあります。彼らは、ガリラヤから出てきた人たちでありますから、そして漁師だったりするわけです。高等教育を受けた人たちではない。その人たちが突然、外国の言葉で話しだす。これは本当に驚くべきことだったのです。その言葉というのが、ただ取り留めもない話ではなくて、11節に「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」とありますが、「神の偉大な御業」すなわち「神の救いの御業」を語っている。その偉大な業とは、イエス・キリストが十字架にかけられ、わたしたちの罪のために十字架にかけられ大きな苦しみを受けられて、復活なさる、そのことが神様の偉大な業です。なぜそのようなことができたのかというと、それは聖霊の力によって、聖霊の働きによって、「聖霊が語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした。」ということなのです。

 いまわたしたちがここで主日に毎週礼拝をお献げしております。キリストの教会がこの世に誕生したときの話を、わたしたちは今聴いているのですけれども、約二千年の前にわたしたちが住んでおりますこの日本という国から、はるか遠く離れたイスラエルの地で、教会が生まれた。そしてその教会が生まれることによって、神の偉大な業、救いの御業を伝える人たちが現れ、その救いの御業が伝えられていく。それが伝道ということですけれども、その伝道の業が連綿と続いて世界各地でなされていく。その伝道が多くの人たちによってなされることによって、このはるか遠く離れた日本にも、神の偉大な業を伝える人たちがここまでやってきたのです。そして今から百年前にこの苫小牧の地に教会ができる。先達たちの働きによって、このようにして、わたしたちが教会で礼拝を献げることができている。それはわたしたちだけのことではありません。世界各地で神様の偉大な業が伝えられていった。ときには命がけで伝える人がいた。実際に迫害され、命を落とした人たちも多くいたのです。その働きによって世界の各地に神の偉大な業が伝えられていく。今も伝えられているのです。その背後には、聖霊の力が働いているのです。逆に言えば、聖霊の力が働かなければ、語る者、聴く者、それぞれに聖霊の力が働かなければ、神の偉大な業が宣べ伝えられて、世界の各地に教会が建てられ、信仰を持つ者が生まれるということはないのです。聖霊の働きがなければ、なされないことなのです。それは、あくまでキリストの体なる教会において、教会の業としてなされなされることです。教会にも聖霊の力が働かなければ、そのような伝道の業を果たし続けていくことはできないのです。わたしたちの信仰が起こされるのも、聖霊の力が働かなければ、実現しなかったことでしょう。 キリストの体なる教会に連なるわたしたちの人生の歩みは、一見単調なものに見えるかもしれません。昨日、今日、明日と同じことが繰り返されるように見えてしまいます。結局そういう単調な日々の繰り返しで、わたしたちは人生を終えてしまうのだろうかと、虚しい気持ちにもなってしまう。しかし、わたしたちをそのようなところから救い出してくださるお方がいる。わたしたちの生を刷新してくださるお方、それが聖霊であり、そしてその刷新する力が聖霊の力ということなのです。わたしたちを新たにし、これまでのとらわれから自由にしてくださるお方。わたしたちの生を刷新してくださるお方が聖霊なる神様です。

 それでは聖霊の力というものを、わたしたちは自分の力で来たらせることができるのでしょうか。わたしたちが祈ればその力を得られるのでしょうか。もしそうであるとすれば、神様は単に自動販売機のようなものになってしまいます。神様はあくまで神様がお考えの上で計画を果たされる。わたしたちがそれをコントロールすることはできません。しかし、その聖霊の力がより働きやすい場にわたしたちは身を置くことはできます。その場とは、まさにキリストの教会なのです。このキリストの体なる教会にこそ聖霊の力がより強く働いていると、聖書ではいろいろなところで記されています。

 キリストの体である教会にわたしたちが集い、礼拝をお献げする。そして御言葉に聴くことによって、わたしたちに聖霊の力が働きやすいように神様が導いてくださるのです。わたしたちを解放してくださるお方、自由にしてくださるお方、刷新してくださるお方が聖霊なる神です。約二千年前にイスラエルで聖霊の力が働いて、キリストの体なる教会が誕生いたしました。その聖霊の力は、今もこの教会に働いています。わたしたちはこの教会に集い、お互い愛し合い、赦し合って、神様の御用のためにお仕えする中で、わたしたちは聖霊なる神の御力によって、新たな命をいただき、解放され、自由にされるのです。そのことを確信して、この一週も希望を持って歩んでまいりましょう。

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