2025.9.21 聖霊降臨後第15主日礼拝 説教要約
アモス書 8章4~7節
テモテへの手紙一 2章1~8節
ルカによる福音書 16章1~13節
本日は、「ルカによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。
今日の聖書の箇所は、「『不正な管理人』のたとえ」との小見出しがついています。この箇所は、聖書の中では特にわかりづらい、解釈の難しいところであると言われているところです。イエス・キリストが弟子たちにあるたとえ話を話されました。その話というのは、ある金持ちに一人の管理人がいたということから始まります。彼は管理人として金持ちの財産を管理することを任されていたのでしょう。その財産を任されていた管理人について、告げ口をする人がいたということです。主人の目を盗んで、その管理人が財産を無駄遣いしているということを、告げ口をしたという人がいたのです。それを聞いて、主人はその管理人を呼んで、会計の報告を出せと言いました。もう管理をお前に任せておくわけにはいかないと言いましたところ、管理人は非常に焦ったわけです。自分の管理人の仕事を取り上げられる、辞めさせられるに違いない。この仕事を辞めさせられたら、わたしは食べていくことはできない。彼は必死になってどうすればいいか考えたのでしょう。管理人の仕事を辞めさせられたとしても、ある人に恩を売って、その人のお世話になって生きていくことができるのではないかと策を思いつきました。その管理人は物を借りている人たちを集めて、借財の棒引きをしたということなのです。まず最初の人に、「借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』」とあります。バトスというのは、巻末の度量衡の表によると、一バトスが23リットルということですから、2,300リットルになるわけです。さらに別の人は、小麦百コロスを借りている。一コロスというのが、バトスの十倍ですからかなりの量です。これは、管理を任されている管理人が勝手なことをしたということですから、これはすすめられることではない。良いことではないということは言えると思います。しかし、「この主人がこの不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。」というのです。自分の財産をそのように、自分に損害を与えたその管理人を罰するどころか、その賢いやり方をほめたというのです。このことを例えで引き合いに出して、イエス・キリストがおっしゃるには、「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子よりも賢くふるまっている。」と。「光の子」らというのは、弟子たちのことを指しています。「この世の子ら」というのは、そういう抜け目のないやり方で、世渡りをしているということで、弟子たちに向かってもっと、賢く、立ち振る舞いなさいということを、主イエスがおっしゃっているということなのです。ぼんやりしているなということでしょうか。のんびりしているなということなのだと思います。さらに主イエスがおっしゃるには、「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」とおっしゃいます。9節にある「不正にまみれた富」と訳してありますが、原文では、「不正にまみれた」というようなことがあるのではないです。直訳すると「不正の富」ということです。もともと富というのは、この世では「不正」と結びつきやすい性格を持っている。権力者などというものは往々にして欲にまみれているので、獲得した富を権力を維持するための手段に使ったりする。言ってみれば「不正の富」とは「この世の富」ということです。「この世」というのはそもそも不正に満ちているというところから、主は「不正の富」という言い方をなさっているのです。 イエス・キリストはここで何をおっしゃろうとしているのでしょうか。その中心というのは、9節に、「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」とありますが、「不正にまみれた富で友達を作りなさい。」そうしておけば、その友達が、自分が金がなくなって困ったときに、永遠の住まいに迎え入れてもらえるとおっしゃっていることです。しかし、果たしてこの世に生きる人間のなかで、永遠の住まいに迎え入れてくれるなどという人はいるでしょうか。そのことができるのは、ただお一人です。それは神様です。主イエスは、神様のために、神様が喜んでいただけるような「この世の富」の使い方をしなさい。「この世の富」は、この世は不正にまみれているために誤った使い方をされかねないから、神様のために、隣人のために大切に注意して使いなさい、とおっしゃっているのです。その使い方というのは、神様に忠実に仕えるために、その与えられた富を、財産を使いなさい。「この世の富」とはそもそも神様から預けられたもの、神様から託されているものです。いくら自分の努力と才覚で築き上げた富といえども、全ては神様のものなのです。いつも神様を意識して、その富を使っていく。全ては神のものとして、忠実にその富を管理していく。そのことがわたしたちに求められているのです。自分のものだから、それを自分が好きなように使うのは勝手じゃないかというとそうではないのです。わたしたちの富、財産は神様からわたしたちに託されているにすぎないものですから、神様にお仕えするためにそれをよりよく使うことが必要なのです。それは具体的にどういうことかというと、困っている隣人たちのために使うのであり、この世のために用いていく。神様のために用いていく。そのようにして大切に使っていくことができるように、生きていきなさいと主はおっしゃるのです。そのことをわたしたちはしっかりと心に留めて、神様に忠実にお仕えしていくことができるように祈り求めてまいりましょう。 閉じる