2025.11.16 聖霊降臨後第23主日礼拝 説教要約
マラキ書 3章19節~24節
テサロニケの信徒への手紙二 3章6節~13節
ルカによる福音書 21章5節~19節
本日は、「ルカによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。
本日の聖書箇所の最初のところで、イエス・キリストが民衆を前に神殿のことについてお話をなさいました。主イエスは「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」とおっしゃいました。神殿とはエルサレム神殿のことですけれども、ヘロデ王が何十年もかかって完成させた神殿です。神殿といいますのは、そこに神様がいらっしゃるところだとされていましたから、主イエスがここで「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」とおっしゃったのは、いつかこの壮麗な神殿が崩れ去るときが来ると、崩壊する日が来るとおっしゃったのです。このことを聞いて、民衆は大変驚いたはずです。神様がいらっしゃる神殿が崩れ去る。それはまさに、この世の終わりの出来事だと彼らが捉えたのは無理もないことです。その主イエスの言葉を聞いて、民衆は、ではそれはいつ起こるのですか、またそのことが起こるときにはどんな徴(しるし)があるのですかと質問したのです。この世の終わりがいつ来るのか。それはこのときの民衆だけではなくて、誰しもが気になることです。いつか必ずこの世は終わる、必ず終わりの日が来るのですが、しかしそれがいつ来るかはわからない。聖書の他の箇所において、主イエスもそれはわたしにもわからないとおっしゃっていると書かれています。それがわかるのは、天の父なる神様だけであると主イエスはおっしゃっているのです。しかし、この世の終わりが来る徴(しるし)というのはないのかどうか。そのことも気になるところです。 そういう民衆に対して、主イエスは、「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。」とおっしゃいます。これまで主イエス・キリストが生きておられたときから、これまでも、多くの人たちが、自分こそ預言者であると自称して、時が近づいたと言って、多くの人を惑わしてきました。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ない、だから怯えるなと主イエスはおっしゃるのです。そういうこの世の終わりの徴(しるし)として、いろいろな災害や戦争などが起こるだろうけれども、しかしその前に、キリストを信じる者たちが迫害を受ける。その迫害は外部の敵対する人たちからの、迫害だけではなくて、16節にありますが、「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。」さらに、17節ですが、「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。」とあります。いつ来るかわからない終わりの日が来る前に、そういう大きな苦しみ、艱難がわたしたちを襲うということなのです。それはしかしいつ来るかわからない。しかしわたしたちはどのように、この終わりの日までの日々を過ごせばいいのでしょうか。終末は近いということを信じて、もう真面目に働くことをやめて、自分が好きなように生きると、もしくは破れかぶれになって勝手なことをする、そういう人たちが当時結構いたそうです。終末はいつ来るかわからないけれどもしかし、そういういろいろなことを言う人に惑わされて、そういう行動をとってしまう。今でも、そういう可能性もなくはないのです。 しかし、そのような困難な状況の中にあっても、主イエスはわたしたちを守っていってくださいます。18節に「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。」とあります。これは神様が共にいてくださって、わたしたちをしっかりと守ってくださるという主のお約束なのです。そういう困難な状況の中にあっても、「忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい。」と主イエスはお命じになっています。この「忍耐」という言葉は、元々「あるところにとどまり続ける」という意味があります。いろいろ困難なことがあっても神様から離れないで耐え忍んで行きなさい。しっかりと「神様こそ救いであられる」と証しして、弁明していきなさい。それはすなわち伝道ということですが、その証しの言葉をわたしが授けると主イエスは約束してくださるのです。そういう困難な状況の中にあっても、様々な声に惑わされることなく、進んでいきなさい。神様から離れることなく、神様が共にいてくださることを信じて、神様を証しして、その姿を、耐え忍ぶ姿をこの世に示しなさい、それが伝道であり、それがわたしたちがなすべき、終わりの日に生きるわたしたちのつとめだということを主イエスはここでおっしゃっているのです。そのことが、命をかち取ることにつながるということなのです。まさにこれは、永遠の命を遠く仰ぎ見るわたしたちの生き方なのです。 終わりの日にわたしたちは、先に召された人たちとともに復活の命を与えられるのです。そしてさらに大いなる希望として、わたしたちに永遠の命が与えられる。その永遠の命と、19節に「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」という命と繋がっているのです。わたしたちにとっていつ終わりの日が来るのかわかりません。わたしたちの生きている間かもしれない。死んだ後かもしれません。しかし、いつ来るかわからないからこそ、わたしたちはその日がいつ来ても良いように目を覚ましていなければならない、目を覚ましていなさいと主はおっしゃったと聖書の他の箇所にも書かれています。終わりの日がいつ来てもよいように、わたしたちは目を覚まして神様に向き直って、希望を持って、与えられたつとめに励まなければなりません。希望を失うことなく、わたしたちは、わたしたちが与えられている大いなる希望、終わりの日に与えられる復活の命、永遠の命の希望をしっかりと心に刻んで、困難なことの多いわたしたちの人生ですけれども、終わりの日をしっかりと心に刻んで、忍耐して、永遠なる神の命を得て、今をそしてこれからを希望を持って生きることができるように祈り求めてまいりたいと思うのです。 閉じる